筆者:榎本恒比古 若睦相談役
補足者:加藤安彦 総代
「深川八幡祭り」といえば、三年に一回行われていると、一般的に思われているかもしれませんが、毎年行われている神事です。 正式には「富岡八幡宮例祭」として8月15日を中心に行われています。
三年ごとに御鳳輦の渡御と町神輿の連合渡御が行われ、これを一般的には本祭り(例大祭)と呼んでいます。
ところで御鳳輦(ごほうれん)とは、屋根の上に金色の鳳凰を飾った輿(こし)のことで、天皇陛下の正式な乗物です。 現在は御神霊の渡御に用いられています。 この町内巡行を《神幸祭(しんこうさい)》と称しています。
この大祭は江戸三大祭り(日枝神社、神田明神、深川)として明治42年の東京朝日新聞にも紹介されたようです。また資料によれば、この3年ごとという周期については、戦前から戦後の初めまでは2年ごとに行われていた時期もあったようですが、30年代に入って現在の3年ごとの周期に定着したとの事です。
また町神輿の連合渡御が行われるようになったのは明治40年代になってからで、それまでは本社神輿と山車の巡行が祭りの中心だったようです。
また町神輿の参加数ですが、昭和37年には大人神輿36基、子供神輿19基が出て、洲崎弁天町(現東一丁目)を出発したとあり、わが町がこの大祭に大きな役割を果たして来たことがわかります。
神輿数は46年には44基、55年に50基、平成元年に54基と増え、担ぎ手も3万人、客は60万人と盛大な祭りに発展してきました。
わが東陽一丁目においては、昭和50年頃に町内の若者を集め、現在若睦相談役の榎本氏を会長として、新生若睦を組織しました。 お仮屋・神酒所・山車庫の三つの庫屋を、頭、棟梁、総代、若睦が一緒になって1週間ほどかけて手造りでした。
現在は町会会館が新築されたことにより、お仮屋も神酒所も会館1階に一日で造れるようになりました。
現在、町会、総代、若睦が三位一体でこの大祭に取り組める体制が出来上がっております。
最後になりましたが、この例大際には実に多くの人が夢中になります。何が深川の人々をこのお祭りに駆り立てるのでしょうか・・・。それは、「ふるさと回帰」、「祈り」、「雑念を祓う」この3点かと思います。この地に生まれ育った人は勿論、地方出身でこの地に根付いた人…ともにこの例大祭の神輿の列に、ふるさと深川の心を感じるからだと思います。
また、この祭りが勇壮で峻厳なのは、担ぎ手も見物客もすべての人が様々な祈りを秘めて祭りに参加しているからだと思います。
また掛声(※注)と身を清める水しぶきに日常の雑念を祓い、 無心になれることがこの祭りの最高の醍醐味と思います。
皆それを体験したくて、富岡八幡宮例大祭に自らを駆り立てるのでしょう。
(注)掛声“ワッショイ”:この掛声は仏教より「和を背負う」という言葉から変じて「ワッセウ」→「ワッショイ」となったようです。(元宮総代・山口政五郎氏口伝)