歴史

【寄稿】第二回 富岡八幡宮例大祭と東陽一丁目六角神輿

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筆者:榎本恒比古 若睦相談役
補足者:加藤安彦 総代

第一回で述べたとおり、現在の六角神輿は最初に造ってから60年を超えています。
その間大修理を2回行っています。最初に作った第14代浅子周慶という職人さんが亡くなっていたため、修理は大変だったわけです。
最初の修理は昭和62年だったと思います。金の鍍金が剥げたりしていました。
その後平成5年の大修理となりました。

その時は屋根の葺替え(本漆梨地仕上げ)と台座部分を取り替えました。
木部はすべて欅でできています。あの時の費用も大変でした。
この神輿を作った当時の価格は、昭和23年~24年頃、親子2基の神輿(深川洲崎弁天町は別格)で土地が400坪買えたといわれています。

六角神輿の由来は、今となってははっきりわかりませんし、最初に何時ごろできたのかも不明です。紀伊国屋文左衛門が富岡八幡宮に奉納した神輿は3基ありました。そのうちの1基が六角神輿でした。東陽一丁目の六角神輿はその3基の神輿の中心であった六角神輿に似せて造ったものと考えられます。

ところが昔の六角というのはあまり形がよくなかったそうです。
そこで当時の町会長さん(福澤氏・榎本氏)が聖徳太子が創建したと云われる京都の頂法寺まで行って、そこにある六角堂を模して、現在の形のいい六角神輿が出来上がったわけです。
鳳凰も京都の宇治の平等院鳳凰堂の上に載っている鳳凰を模したものと言われています。
大変な費用がかかっても八幡宮の神輿を模して六角の神輿を造ろうとしたり、六角堂や鳳凰は京都で本物を見てくるなど、この六角神輿を造った人の神輿と祭りに賭ける心意気というか、情熱をうかがうことができます。
六角神輿を造るのは、四角と違い大変な技術を必要とします。まさに職人冥利に尽きる技といわれています。

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